では映画本編の感想です。
前夜祭の感想は
こちら。
以下ネタバレにつきご注意ください。
特に映画を見ていない方はネタバレで大きなショックを受ける可能性がありますので……。
また、書いてみて気がついたのですが、かなり愚痴っぽい部分が多くなってしまいました。
そういったものを見るのが嫌な方はこのまま引き返してくださいませ。
とりあえずの感想としては。
あんた達、続編やりたいからって、本気で完結させる気ないんでしょう!?
以上です(苦笑)。
あれ、あんまりフレイっぽくなりませんでした(笑)。
どうやら種の3部作は決定してしまったようですが(はぁ……)これと鋼人気を見る感じでは、本当に2007年に鋼の続編がきそうですね……。
正直映画でハッピーエンドできれいに終わって欲しかったです。
ご都合主義と言われてもいいから、映画の最後でエドが錬金術世界に帰って終わりでよかったじゃないかと思います。
映画中の描写では、門は両側から開かなければ開かないようですから、片側からふさいだだけで別によかったのでは?
でなければ、ホーエンハイムをその前の段階で殺さず、ここでふさがせてもよかったはず。
続編をいったいどうやって描くんだというのが心配です。
映画ラストの鋼で続編をやったら、そのままでは錬金術も使えませんし、舞台は戦争(それも第二次大戦)に突入していくドイツですし、とても子供も楽しめるエンターテイメントにはなれないんじゃないかなぁ。
愚痴からはじめてしまいましたが(苦笑)、いくつかに分けて見ていってみたいと思います。
思いつくままにかいたので、順序はばらばらです。
・ハスキソンの城
CMに出てくる昔の姿のエドとアルですが、本当に昔のエドとアルだったんですね。
なぁんだ(笑)。
海上に浮かぶ城で仮面の男、ハスキソンと戦ったときのことをエドが現実世界のアル(ハイデリヒ)に話しているという構成でした。
このあたりはギャグに走っていて楽しかったです。
特に、映画では見られないと思っていた鎧アルのデフォルメが見られたのは嬉しい。
相変わらずの、破天荒なエドの錬金術も面白かったです。
そしてさすが映画というべきか、くるくる動くアクションシーンは、大画面で見ると迫力があっていいですね。
アニメ本編を見ていると、このあたりは説明的過ぎるように感じられましたが、アニメを見ていなくてもちゃんと分かるように配慮されているのはありがたいです。
ただ、映画の冒頭に出てくるにもかかわらず、この男の伏線ってほとんど回収されていないんですよね。
彼の開発したウラニウム爆弾(つまり原爆ってことだと思いますが……)が現実世界にあるという話は出てきましたが、彼自身については結局よく分からなかった。
爆弾だけが門をこえたということはないと思うので、それと一緒にハスキソン自身も渡ってきていると思うんですよね。
作中でエドが「シャンバラから無事にわたってきた2人目の人間」というように言われていているのは気になりますが(1人目はホーエンハイムのはずなので)。
冒頭部分なのに、最後まできれいには回収されなくて、そのあたりで、ああ、続編やるのかなと思ってしまいました。
パンフを見ると、ホーエンハイム役の江原さんがそういう話をなさってますし、そもそもそういう話を聞いた上で見に行ったというのが大きかったのかもしれませんが。
・どこまで行っても終わることのない夢
今回の映画で、現実世界はセピア色のような、ちょっと落としたトーンでまとめられていて、それがちょうど夢の中のように見えるんですよね。
特に最初の場面でエドの話す錬金術世界の方は回想なので、アニメだったら本来そちらをセピアにするようなところだと思うのですが、それが逆になっているのが印象的でした。
自分のよく知る人に似た人と出会って。
その人が自分の知る人と全く同じならいいのかもしれない。
だけどどこかが確実に違うんですよね。
多分そこにエドは自分の異質さを感じたのではないかと思います。
終わらぬ夢の中にいるようで、3年間のエドは本当に辛かったと思う。
あの明るかったエドが厭世的な様子は見ていて本当に痛々しかったです。
・異質であるということ
今回、映画全体を通して描かれた大きなテーマのひとつは間違いなくこれだったと思います。
ドイツの中で異質な存在であるジプシーのノーア。
同じくドイツの中で異質な存在であるユダヤ人のマブゼことフリッツ・ラング。
現実世界の中で異質な存在であるエド。
そして異質なものを否定しつつ、まさにその異質であることが原因で撃たれたエッカルト。
アニメではイシュヴァールという被差別民族によって描かれていたテーマが、今回の映画でも見事に描かれていました。
アニメの本当に印象的な場面で、イシュヴァール人の子供に向かって、エドが、「怖いけど……」という場面があって本当に感動したのですが、異質であることを認めながら、それを肯定していくエドの姿勢がすごく好きです。
今作であれば、「自分だけの国が欲しかった」というノーアに対して、国が無いことさえも誇りになるというようなセリフを言っているんですよね。
そんなエドに対して、異質なものは認められないとはっきりと言い切り戦争を引き起こすエッカルトがすごい。
種では見事に逃げられてしまったように思えるテーマですが(苦笑)確かに戦争を引き起こすものの1つに、異質なものを認めない心というものがあるのだということを描いてくれました。
彼女が20世紀前半のドイツの表象であるが故の重さだと思います。
そしてエッカルト自身が、異質なものを否定する心によって滅ぼされるわけですが、彼女を撃つのがヒューズだというのがまたすごいです。
この映画でのヒューズって最後まですごくドライに描かれていると思うんですよね。
彼は20世紀前半のドイツにいる普通の警官だと思うんです。
例えばノーアを彼が認めることがなかったように、彼は最後まで異質なものを否定する心を捨てていないように思うんです。
だって1度失敗したナチスの蜂起は、次は成功するから。
その象徴として、一番最後の場面に、ヒューラーのチラシが風に吹かれているんだと思うんですよね。
これからますます、異質なものの否定へと向かっていくドイツ。
その中で、異質なものを否定しないグレイシアと果たして上手くやっていくことが出来るのか。
かなり怖いです。
・世界と自分
もう1つのテーマは、人は世界と無関係ではいられないというものだと思いますが、これも本当によかったです。
全は一、一は全。
すべてのものは、ことごとく己と関係があるのだと。
かつて日本が他国を侵略した時代があった。
その侵略自体は私が直接手を下したことではない。
だから今の私にはそれは関係の無いことに思える。
だけど今の私は、確かにその侵略の犠牲になった人の上にあるんですよね。
であるならば、今の私も過去の侵略とは無関係ではいられない。
最近、そんなことを考えていたので、鋼のこのテーマはすとんと落ちてきました。
・居場所
世界と無関係ではない以上、どんな場所だって、自分の現状が居場所になるのかもしれません。
だけど、だけどエドとアルは確かに現実世界にとって異質な存在で。
それはノーアが異質だというのとは文字通り、次元が違う。
確かに現実世界をエドが否定することは罪だと、私も思います。
だけど、それとエドたちの居場所は確かに錬金術世界であることとは違うことであるような気がします。
エドに現実世界を否定することは出来ない。
だけど、どちらかを選ぶことは罪ではないとそう思うんです。
自分の周りにある世界を受け入れながら、それでも自分の元いた世界、大切な人たちを探したっていいじゃないかと。
そう思いました。
・ホムンクルス達の結末
エンヴィーに関しては今回で回収されるだろうと予告から予測していたのですが、思ったよりもきれいには回収されなかった気がします。
エンヴィーに関しては、エドとホーエンハイムに対して決着をつけなくてはならないと思うのですが結局エドと戦いホーエンハイムを捕らえただけで、後は練成の材料として使われてしまい、結局その想いが描かれずに終わってしまったんですよね。
死というのはひとつの結末で、確かに終わりは描かれているのですが、エンヴィーの物語が描かれきったかというと、決してそうではないような気がしました。
エンヴィーだけでなく全体に言えることなのですが、ちょっと詰め込みすぎなんですよね。
ファンサービスという側面が絶対に必要なので、登場人物の多さは悪いことではないと思いますが、やっぱりちょっと苦しかった気がします。
全体に荒いというか。
その影響をもろに被ったのがエンヴィーと大佐、ウィンリィあたりではないかと思っています。
逆にラースはよかった。
最期の選択、アルとエドを再開させるために、扉を開くための犠牲となることを自ら選択する描写は感動でした。
イズミ先生の死は、そのラースの結末を描くための都合上といった感じを受けてちょっとさびしかったのですが、最期に素直に「ママ」の元に行けてよかったなぁと思います。
そしてグラトニー。
アニメ版で曖昧なまま終わってしまい、どこかで回収されるかな、脇すぎて無理かな、とちょっと不安だったのですが、今回無事に回収されてよかったです。
その結末は、食べ続けるだけの怪物と言った感じで、さびしいものではありましたが。
そして最後の最後のカットで、スカーとラストの登場。
これはすごく嬉しかったです。
この2人の結末は本当に切なかったので、幸せそうに笑っている様子を見て、じわっときました(その前から泣いてたんですが……)。
・大佐に関する補完
時間の問題かあちこちかなり削られた印象で、ずいぶん分かりにくかった大佐について、自分なりに補完してみようと思います。
もう大佐じゃないんですが、大佐と呼ばせてください(笑)。
リザさんじゃありませんが、伍長なんてふざけるなという感じです。
まずはなんで北方でへたれていたか。
パンフレットには、
3年前に大総統・ブラッドレイを打ち倒したが、同時に自分の左眼と、多くのものを失ってしまった。とあります。
この「多くのもの」というのがよく分からないんですよね。
左眼と「同時に」大佐が無くしたものってエドぐらいだと思うんです。
地位はどうやら自ら捨てたもののようですし、大衆からの支持だって、彼が望めばいくらでも取り戻せたような気がしてならないので。
ヒューズのことは「同時に」失ったものではないですし。
彼の部下はエドを除けば誰も傷ついていませんし。
まあつまりはエドがいなくなってへこんでいたと解釈してみることにします。
少なくともそれが大きな原因であったことはハボックのセリフからも分かります。
大佐が待ってるのはあの人リザさんじゃないと思うというようなセリフですね。
つまり、エドが帰ってくるまでは自分を見つめなおしつつ、北方にいようと思っていたということでいいのだと思います。
次に中盤。
大佐がウィンリィに電話をかけています。
内容はセントラルと東部での異変といなくなったアルのこと。
ここでアルも大佐と同じ結論に達したのだろうという話が出てきます。
これは門の向こう側とこちら側が一瞬つながり、鎧達は門の向こう側からやってきた。
だからもう一度門を開けばエドと再会できるということだと思います。
ただこの考え、一度門の向こうに渡りエドと再会したアルならば容易に達する結論だと思うのですが、エドが生きているかどうか分からない大佐が考えるにはちょっと難しいような気もします。
まあ、エドが帰ってくるのを待っているということは、エドが生きていること自体は信じていたということなので、何とか納得できそうです。
エドが生きているということは、扉の向こうで生きているということでしょうから。
この構図でいけば、門を開けばエドと再会できるという結論に達するかもしれません。
扉の向こうがどうなっているか大佐は知らないはずというのは、3年間のうちに調べたということで無理やり納得。
その「向こう」というのが、今回開いた門の向こうと同じだということは、アルが中央に向かったこと、門が開いたのが中央とリオールだということから予測した、と。
ところで門の入り口が開いたのがセントラルとリオールだったのは、かつてそこで賢者の石が練成されたからですよね。
だったら大佐、最初からリオールで待っていればよかったんじゃ……?(苦笑)
上の大佐に関する補完が成立するならそちらの方がずっと自然な気がします。
でなければ、何か必然的な理由でエドが北方に帰ってくればまだ分かるのですが。
正直いつの間にやらエドが帰ってきた(あるいは帰ってくる)ことを知り復活した大佐を見るより、エドにあんなへたれた大人修正してほしかったかも。
やっぱり復活イベントは復活イベントとして、省略せずにやってほしかったです。
そうでないなら、エドを待つにしても、最初からへたれてないで、セントラルで指揮を執りながらにすればよかったのではないかと。
で、無事に大佐復活となったわけですが。
何故か気球で飛び出していってしまうアホっぷりとリザさんの「嘘!?」というセリフが最高(笑)。
カッコいいのに雨のせいか(爆)使う機会が少ないように思える焔の錬金術を使いまくっているあたりもカッコいい。
ただ。
エドとの再会のシーン付近。
腐女子の皆様の歓声で聞き取れなくて大佐のセリフがぼこぼこ抜けてるんですよね(苦笑)。
というわけで終盤の補完は省略。
頼むからセリフが聞こえないくらい騒ぐのは勘弁してください……。
みんなが試写会見てから舞台挨拶見に来ているわけじゃないんですから。
ただ、映画のラストでエドは再び門の向こうに行ってしまったんですよね。
その上今度はアルまで。
そして、彼ら自身の望みとはいえ、大佐自身が彼らを向こう側に閉じ込めてしまうことになった。
最初に戻りますが、エドが帰ってこないだけでへたれていたのだとしたら、大佐は再びどこかでへたれてしまっても不自然ではない気がする。
まあ1度復活した以上、2度はあんなことをする人ではないと思うので、そんなに彼らのことが気になるのであれば、今度はあんな誰かを巻き込むような形ではない方法で、彼らが帰ってこれる方法を大佐が探してくれそうな気もしますが(いや、それはカッコよすぎか)。
・錬金術の代価
今回の映画では、エドが躊躇無く錬金術を使いまくっていましたね。
もちろんエンターテイメントなので、そうでなければ面白くないのですが、アニメオリジナルの設定で、錬金術は現実世界の命を代価にしているという設定があるんですよね。
にも関わらず、他でもないエドが錬金術をためらい無く使うというのはどうなのかなと思いました。
使う前に一瞬ためらうぐらいの描写は欲しいなぁと思いました。
・役者さんってどうなの?
もうこれもいまさらなんですが。
なんで映画となるとプロの声優以外の役者が入るんでしょうね(苦笑)。
沢井さんも小栗さんも頑張っているなというのは伝わってきますが、やっぱりもっと上手い人にやってもらいたかった。
いくらだってプロの声優さんはいたはずなんですから。
ノーア役、法ちゃんがロゼと1人1役でもよかったじゃないかなんていうのは1桑島ファンのささやきです(笑)。
だけど驚いたのは、かとうかずこさんが本当にお上手だったこと。
エッカルト、本当に好演されてらっしゃいました。
これくらいお上手だったら何も不満はないのに、やっぱり若い役者を使うのがいけないんだろうなぁ……。
・ギャグ
映画版ではアニメ版よりもギャグパートが増えていたようで嬉しかったです。
このギャグパート、ほぼすべて錬金術世界で出てくるんですよね。
全体にセピア色がかって暗い現実世界と、鮮やかな色で明るく戦っている最中でも笑いのある錬金術世界。
確かに、現実世界から映画を見る私達にとってはそこは楽園、シャンバラなのかもしれませんね。
・ウィンリィ
映画を見る前に、朴さんのインタビューで、ウィンリィがエドと友達以上恋人未満という関係だったのが、2人のお母さんみたいになってしまったという話をしてらっしゃるのを読んでいたのですが、本編を見てやっぱり結構ショックでした。
エドに再会したときはエドに抱きついたりして本当にかわいかったですし、ずっとオートメイルを持ち歩いていたというのが本当にいい子だなぁと思ったのですが。
エドが現実世界に行こうとするとき。
もう待たせてはくれないのね。
というセリフが、確かに恋人未満というよりは母親のようで。
すごく哀しかったです。
いつの間にそんなに悟っちゃったのかなぁと。
ただ、よく考えるとアニメのころからその傾向はあったんですよね。
3期のエンディング、Motherland。
ウィンリィからエドとアルへの曲だと思うのですが、タイトルも曲自体も、母親っぽいんですよね。
その上アニメ版のエンディング、ヒロインの位置を占めていたのは何故かロゼだったようにも思います。
そして映画ではそれがノーアだった。
ウィンリィ(泣)。
エドにスパナ投げつけるようなウィンリィが好きなので、映画でも見たかったのですが、この展開で行くと、たとえ続編があったとしても、アニメではそういうウィンリィは見られないかもしれませんね(大泣)。
ヒロインなのに……。
・フュリー曹長を探せ
確認できた限りでは3箇所ぐらい発見(笑)。
議場のような場所についているのと、セントラルでエッカルトの軍と戦うフュリー曹長。
これを見て、ああやっぱり銃を持っているのは似合わないなぁと思ってしまいました。
いえ、銃を持っているフュリー曹長はカッコいいのですが(爆)、街で壊れた公衆電話を直している方が絶対に似合う。
彼らに関しては、出てくることは出てくるだろうと思っていたものの、パンフレットを見るまでセリフがあるかどうかは確信がもてなかったので、ちゃんとセリフがあってよかったです。
・アームストロング財団
アームストロング少佐(いやだからもう少佐じゃないんですけど)の相変わらずのはちゃめちゃ具合が最高でした。
地味に隣に妹も登場していたのが嬉しい(笑)。
本編では大佐が
アームストロング――殿。
と言う位で、軍人を辞めたことに関する描写はほとんどありませんでしたが、代々続く軍人一家であったはずの彼が軍人をやめるということは大変なことであるはずなんですよね。
ハイデリヒ達を通して、戦争はそれを望む多くの民衆の心から起こるということを描く一方で、軍人をやめたアームストロングというのは、1つの救いになっているような気がしなくもありません。
・体制の変わったアメストリス
微妙に気になったのが、大きな議場のような場所にいたシェスカ達。
ブラッドレイが倒れるまでのアメストリスって大総統の独裁に近い体制として描かれていたように思うのですが、国会のような組織ができたということなのでしょうか?
・門を壊す場面は?
アニメの最終話等でよく使われる手法だと思いますが一番重要だと思われる門を壊す描写を省略してそのまま後日談に突入というのは、最後の最後に肩透かしを食らった気分になりました。
私この手法嫌いです(苦笑)。
1度省略された後、回想でその場面が描かれるというのなら好きなのですが。
結局どうやれば門が閉じるのかという描写も無いまま終わってしまったんですよね。
はたして門というのは物理的に破壊しただけで閉じるものなのか疑問のままです。
ここはちゃんと現実世界と錬金術世界、双方で門が閉じられ描写が欲しかった。
大佐の活躍としてもそちらの方が見せ場にふさわしかったでしょうし。
決して大佐のカッコいい姿が見たいなんて邪な理由からでは……ちょっとはあるかもしれませんが(滝汗)やっぱりそれって必要な描写だったのではないでしょうか。
・アルの記憶が戻った理由
錬金術世界のアルが現実世界のアルの視点で夢を見ていたことから、錬金術世界のアルと現実世界のアルは1つのカードの表と裏のような存在だったのではないかと思っています。
映画の最後でアルの記憶が戻った理由ですが、私は現実世界のアルが死んだからではないかと思っています。
何かの理由で現実世界のアルの中に留まっていたアルの記憶が、その死により外に出たのではないかと。
もしかしたら原作コミックの、扉の中のアルへのリンクという概念に引き摺られてしまっているかもしれませんが。
・戦いを望む心
ハイデリヒやヒューズのような普通の市民が戦争を望むという描写がすごくよかったです。
戦争は1部の人(例えばエッカルトのような人)が他の多くの罪の無い人を巻き込むことによってだけ起こるのではないということをちゃんと描いてくれたので(正直種の薄っぺらい子供だましの描写には辟易してます)。
戦争のような大きなことだって、自分と関係のないことではない。
自分自身が、その戦争を引き起こす1つのきっかけになっているのだと。
明治から大正頃の日本で、戦争を望むのが大衆で、それをとめるのが政治家であったように。
米西戦争のころのアメリカで、戦争をあおるのが大衆紙で、その大衆紙の記事を求めたのが一般市民だったように。
戦争を起こすのが独裁者だなんて嘘だ。
その独裁者を求めるのは、他でもない大衆なのですから。
・納得のいかないラスト
ラスト姉さんではなくて結末のほうです(笑)。
やっぱりどうしても。
納得がいかないんですよね。
予測していた中で最悪のラストは、エドだけが現実世界に帰ってくるというものだったので、それが避けられたことだけは本当に喜ばしいです。
エドが現実に帰ってきたところですごくがっくりきて。
だからアルがついてきてしまったのを見たときは本当にほっとしたんです。
だけど。
やっぱりエドばかり割を食っている気がするんです。
結局ウィンリィやばっちゃんや大佐達大切な人たちのいる錬金術世界から現実世界に帰ってきてしまって。
アルはもって行かれた体のすべてが返ってきて、記憶も最後には戻ってきたのに、エドだけが右手と左足が返ってきていない(アニメ編、1度戻った手足がなぜ再び失われたのか未だによく分かっていません)。
もちろんすべてを取り戻そうなんて贅沢だと思いますし、エドの手足までもなんて欲張りなのかもしれない。
だけど、あまりにエドばっかりが辛い目にあっているようで、哀しいです。
声グラインタビューだったと思いますが、アルにとってはハッピーエンド、エドにとってはぜんぜんハッピーじゃないと朴さんと釘宮さんがおっしゃってたんですね。
ラストまで見て、確かにそうだなぁと思いました。
続編やるならやるで、そこでは絶対にハッピーエンドになって欲しいです。
このままでは苦さが残るではなく、あまりにも苦いだけに感じられてしまうので。
せめて一緒に来るのがウィンリィだったらまだよかったんだけどなぁ……。
エドとアル、お互いに依存しすぎです。
そろそろ独り立ちしてもいいと思うんです。
・今ひとつ理解できなかった舞台設定
舞台が1923年のドイツなのですが、このあたりの歴史や人物について知らないとちょっとよく分からないという部分も多いのではないかと思います。
パンフレットにほとんど解説がついていないのがかなり痛い。
あれだけぼってるんだから多少の歴史的な人物紹介と年表ぐらいつけてくれてもいいと思うのですが(苦笑)。
さすがにヒューラーって何って人は少ないと思いますが、ナチスの武装蜂起の失敗は、知らない人も多いんじゃないかなぁ……。
かく言う私も、ルドルフ・ヘスと聞いて、調べるまで誰のことか思い出せなかったという時点で、終わってるんですけどね(これでも史学系/苦笑)。
近現代史は明治過ぎるとまったく分からないからなぁ……。
でもルドルフ・ヘス思い出せなかった自分にはかなり落ち込みます。
で、色々人物名も引っかかるところがあったので、調べてみました。
まずは大総統のそっくりさん、
フリッツ・ラング。
映画は詳しくないで、劇中の描写で多分実際にいるんだろうなぁと思っていたら案の定、実際の映画監督でした。
劇場版だから洒落てみたというところでしょうか?(汗)
写真は
こちらに載っていました。
モノクルのおかげで意外と似て見える……?
次に
トゥーレ協会。
ナチスの前身のひとつですね。
これがちゃんとオカルト系というのが、映画として本当に上手い設定です。
カール・ハウスホーファー。
地政学者で、パンフにもそう書いてあるのですが、その設定は映画中ではほとんど出てこなかった気がします。
彼、日本ともかかわりがあるので、本当に続編があるなら、そのあたりも大きくかかわってくるのかもしれません。
どうしよう、日本人の外交官で増田さんとかいたら(爆)。
そして
ルドルフ・ヘス。
ナチスの副総統です。
映画に出てきた人物の中では一番有名な人物でしょうね。
そして
ディートリヒ・エッカルトという人物。
映画版のデートリンデ・エッカルトは彼を模しているのかもしれません。
映画版ではエッカルトはヒューズに撃たれて死にましたが、実際のエッカルトはモルヒネ中毒で亡くなっているようですね。
大体の感想はこんなところです。
今後さらに何かあったら追記するかもしれません。
全体としては、作画もきれいだし、大画面のアクションシーンは面白いし、サービス精神も旺盛だし、音楽もいいし、オープニングエンディングもちゃんと鋼用に作られているしで、結構いい映画だったのではないかと思います。
ただ、やっぱり最後が納得いかないのと、完結しなかった感が辛かったです。
シナリオブックには、映画本編でカットされた大佐の描写もあるという噂なので、そのうち買ってじっくり読んで、もうちょっとこの映画について考えてみたいと思っています(パンフより安いですし/苦笑)。
※追記
いつまでたっても感想を書き終わらないと思ったら、文字数1万軽く超えていました。
まあ映画の長さって普段の4倍ですから、当然なのかもしれませんが……。
この気力をレポート書くのに回せばいいのに我ながらあきれます(苦笑)。
ここまで長い文章に付き合ってくださって、ありがとうございました。
↓面白かったら押してやってくださいませ

- 2005/07/25(月) 13:06:23|
- 鋼の錬金術師|
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